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伝え続けて900号-1

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北海道岩見沢市

毎月発行している広報いわみざわ。
その歴史は古く、昭和26年8月までさかのぼります。第1号が発行されてから、2018年(平成30年)5月号で900号を数えます。
今月号は、その900号を記念して、広報の歴史を振り返ります。

●広報の役割
広報いわみざわは、皆さんの暮らしに欠かすことのできない、健康、福祉、教育などの生活情報の提供に加え、まちづくりのビジョンや課題などの行政情報を積極的に周知するために、毎月1日に発行しています。

●昔の広報は?
広報の役割は昔も今も変わりません。では、昭和26年8月に発行された第1号は、どのような内容だったのでしょうか?

●76.1HMz
市職員が出演して説明します
5月11日(金)午後5時40分

名称は、岩見澤市公報〝市のあゆみ〞で4ページの紙面でした。ロゴマークには、地図記号の線路を使い、ローマ字でIwamisawaを表現しており、このことからも当時の岩見澤(いわみさわ)は〝鉄道のまち〞であったことが分かります。
当時の山本市長の創刊のことばに始まり、農業委員の選任や成人学校の開校などの行政情報が掲載されています。驚いたのは、〝岩(がん)チャン〞という四コマ漫画の掲載があったこと。「水道の公設共用栓が鍵付きになり、鍵がなければ水は出ない」といった市政のことは、この〝市のあゆみ〞を読むと分かるという内容のもので、当時も、どうしたら多くの人に読んでもらえるのかと努力をしていたのがよく分かります。
(この漫画は、誰が書いていたのでしょう?絵心のある担当職員がいたのかもしれませんね)

●広報発行の歴史
900号という歩みの中で、どのような変化があり、どのように進化してきたのか、節目の号と印象に残った表紙から振り返ります。

○第1号(昭和26年8月1日)岩見澤市公報市のあゆみ
○臨時号(昭和29年7月26日)天皇皇后両陛下当市にお成り国体特集号
○42号(昭和29年12月15日)いわみさわ市の弘報に名称変更
○100号(昭和34年10月8日)
○106号(昭和35年4月6日)広報いわみさわに名称変更
○130号(昭和37年4月7日)広報いわみざわに名称変更
○176号(昭和41年1月1日)現市役所庁舎が落成
○200号(昭和42年6月1日)偶数月の発行が2回に
○264号(昭和46年2月1日)表紙が全面写真に
○280号(昭和47年1月1日)表紙が緑と黒の2色刷り
○300号(昭和48年3月3日)
○317号(昭和49年4月1日)唯一の左綴じ横書きの広報
○364号(昭和52年1月1日)新年号の表紙がカラーに
○400号(昭和54年2月15日)
○464号(昭和57年11月1日)駒大岩見沢高校野球部が全道初制覇
○476号(昭和58年8月1日)開基100年市制施行40周年記念号
○500号(昭和60年2月1日)
○518号(昭和61年7月1日)北海道21世紀博覧会開幕
○600号(平成5年5月1日)
○671号(平成11年4月1日)上志文小と朝日小、最後の卒業式
○700号(平成13年9月1日)
○719号(平成15年4月1日)表紙が全面写真に
○755号(平成18年4月1日)市町村合併号
○800号(平成22年1月1日)
○825号(平成24年2月1日)観測史上1位の豪雪
○833号(平成24年10月1日)大雨被害による南町の様子
○876号(平成28年5月1日)表紙・裏表紙をフルカラーに
○883号(平成28年12月1日)全面写真の表紙に

過去の広報の表紙を見て、懐かしいなと思った方もいると思います。
全面写真でフルカラーという表紙も、40年以上も前に取り入れられていたなど、その時代の担当者が、試行錯誤しながら作っていたというのが分かりました。

問合先:市秘書課広報係

〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町2-21-11 山竹ビル